静かな夜

眠くなるまで、思ったことをつらつら書く。

推敲なしで、思考の赴くままに筆を走らせる。

自分以外を見下す知人について。

知人から届いた愚痴のLineを未読のまま1年以上放置している。

内容は《周りは馬鹿ばかり》という攻撃的で幼稚な暴言だった。 目に映るものを敵認定したいだけの人の相手にされるのは御免なので、確信犯的に無視し続けている。

前々から何度も書いている気がするが、“好きの反対は無関心”というのは一つの真理だ。 相手のことが気にならなくなったら、それはある意味「死」だと思う。

かつてどんなに親しかった者も、付き合いが無くなればいないも同然である。

話は変わる。 否、変わるようでいて変わらない。

仕事の話。 立場が変われば、味方だと思っていた人から、突然厳しいことを言われることもある。 勝手に味方認定した人に過度な期待を寄せてしまうと、いずれ無用なところで自分が苦しむことになる。

僕は頑張りすぎることをやめた。 仕事で直接利害関係にある人と“お友達”になることをやめた。

表面上は笑顔を装っていても、情にほだされずドライであらねばならない。 最優先事項を守るため、それ以外を斬って捨てる勇気を持たねばならない。

眠れないので、更に戯言は続く。

時々、すべてをリセットしたくなることがある。

大抵、物事が想定通りに進むことはありえない。 さまざまな課題や障害に直面し、成果物は理想像からどんどん離れていく。

重症化すると、もう何をしてもうまく行く見込みがないという破滅的な気持ちになることもある。

そんなとき、“あのときああしておけば”という痛恨の後悔とセットで“はじめからやり直せばきっとうまく行く”という錯覚に陥る。

現実にはそんなことはない。 目に見えないあらゆる制約が存在するし、自分がコントロールできないものの方が多い。

やり方をいくら変えても、影響力の及ばないところは結局変わらないので、安直なリセット願望を抱いてはいけない。

ストレスと逃避について。

『どんなときでも逃げてはいけない』という気持ちと、『いざとなったら逃げてもよい』という気持ちは、アクセルとブレーキのようだ。 あるいは、飛行機の上昇と下降のようでもある。

一見矛盾しているが、安全運転のためにどちらも不可欠である。

逃げたところで、自分は所詮、替えのきく存在だと自覚することも大事である。

“逃げたら恨みを買うかも知れない”などと考えてはならない。 どうせ逃げるなら徹底的に縁を切り、外野の手の届かない安全圏に身を置くことだ。

まだまだ続くが、そろそろ眠くなってきたのでここで一度切る。

僕の弱点

気付いてしまった。自戒を込めてここに残す。

心と体が低空飛行

なんとか浮上したいものだ。


最近はあまり物事に対して真正面から立ち向かうのをつとめて控えるよう心がけている。

大ダメージをもろに被る立ち位置で、何も残さず痛い目を見るのも損であるわけで。

避けるべきときは避ける。 倒されても受け身を取れるようにしておく。

勇気について

ギリシャイカロスが、ろうでできた翼を太陽に溶かされて*1墜落死する神話を美化した『勇気一つを友にして』という曲がある。

僕が小学校の音楽の授業でこの歌を習ったとき、デリカシーの無い担任が『たーせる君は意気地なしだから、この歌の“勇気”の意味が分からないでしょうね』と言い放ってクラスの笑いを誘ったものだ。

しかし実際僕はこの歌の意味する“勇気”というものが理解できなかった。 子供心に、この歌は“道路で遊んで車に轢かれる話と本質的に一緒”だと思っており、無謀で危険な行為を勇気などという表現で正当化することに甚だ違和感を覚えたからだ。

ちなみにこの神話は、本来、人間の傲慢さに対する戒めの物語であり、歌われている内容とは全く逆の教訓が込められている。


“──そういや、どっかの神話にあったっけな。『太陽カミサマに近づきすぎた英雄は、蠟で固めた翼をもがれ、地に墜とされる』…ってな”

鋼の錬金術師』の1話目での、主人公エドワード・エルリックによる科白である。

*1:どうでもよいが、太陽の熱は地球に直接届いているわけではないので、少し高度を上げたくらいで蠟は溶けない。

いのちあるかぎり

登山家・栗城史多氏がエベレストで死亡したという報道を目にした。

僕はどちらかというと彼のやり方に対して懐疑的な方ではあったが、いざ訃報に触れるとなんとも言えない後味の悪さを感じた。