よかれと思って──

最近は、仕事が全く思い通りに進まない。

特に今週は酷かった。 良かれと思って取った行動が全て裏目に出て、周囲の信頼をかなり損ねることになった。

この行動の背景には上司の強い指示があり、またその内容にも一定の説得力があった為、僕の判断と責任においてそれを実行した。

しかし大変不本意ながら、結果としてそれが周囲の不満の起爆剤となり、利害関係のある他チームのメンバから凄絶な袋叩きに遭った。 それでいて心が折れずに平静で居られた僕は、実は鋼のメンタルの持ち主なのかも知れない。

周囲の者は皆、思い思いに僕を批難した。 ただ、それら一つひとつの主張をよくよく統合すると一貫性がなく、論理的でもない。 全員の意見を受け入れたら必ず破綻を招いていただろう。 依然として支障がある事案なので詳細は伏せざるを得ないが、いまだに何が正しかったのかは分からない。

今の僕に言えることが3つある。

1つは、僕と同じ境遇の人が、いま、世界のどこかに必ずいる、ということ。 そのくらいありふれたことであり、特別思いつめたり打ちひしがれたりする必要もない。

2つ目は、自分以外の関係者や責任者に、救済を期待してはいけないということ。

自分で行動を起こす以上は、最悪の結果を覚悟しておくこと。 それに備えて戦闘力を蓄えておくべきだ。

たとえ身内であっても、人間は簡単に部下の梯子を外す生き物だ。 僕の上司とかは典型例だし、もはや本能レベルでそういうふうにできているとしか思えない。

悪質タックルで問題となった日大アメフト部や、不祥事を起こした名だたる企業の謝罪会見を見ても、往々にして「現場判断でやったことだ」と見え透いた責任逃れの常套句を並べている。 あるいは「誤解を与える指示を出したかも知れない」などとトボけるかも知れない。

それでも担当者を孤立させるには十分だ。

3つ目は、どんなに最悪な事態であろうと、人が生きている限り、(どういう形でかは分からないが)必ず解決に向かうということ。

最悪の状況下で、選べる行動は大幅に限られている。

経験則だが、まずは状況に耐えること。 自分と部下の戦闘力をセーブすることを最優先に行動すれば大抵なんとかなる。

自分を無駄に苦しめる行動は決して選ばないこと。 また、今は焦りのあまりあらゆる判断力が失われており、事態打開のため咄嗟に思い付く行動は、どれも場当たり的で大抵正しくない。

適当にまとめよう。

「よかれと思って」が、大惨事を招いてしまった。

局所的に見れば深刻なトラブルであり、僕にとって大きな痛手である。

だが、起きてしまった事は仕方がない。 解決への道程は長い。