脱正義論

今さらながら『新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論』を読んだ。

20年以上前に出版された、薬害エイズ問題と市民運動の顛末を描いた作品で、久々に読後感が最悪の本に当たってしまったというのが正直な感想だ。

薬害エイズ問題は、1996年3月29日に被害者と厚生省・企業の間で和解が成立し、一応の終息をみた。 結果的事実だけを見れば、それは原告側の正義の勝利だったかも知れない。

しかしページを繰るにつれ、暗澹たる気持ちになっていった。


早稲田大学で催された「CHALLENGE AIDS '95」での出来事を、実行委員のY氏が振り返るくだりがある。

もともとこのイベントは、薬害エイズだけでなく、性感染も含めたすべてのエイズを考える趣旨だった。 Y氏は『HIV訴訟を支える会(以下、支える会)』のメンバーではないが、イベントに支える会のコーナーを組み込んで貰えるよう、主催者側と必死に交渉した。

ところが、当の支える会は、そのイベントに自分たちのコーナーがあることを当然の権利のように考え、さらに「自分たちのパンフレットを作れ」と平気で要求してきたという。 そのお金がどこから出ているかを考えもせずに。

当日イベントが始まって、最初の第一部の支える会のコーナーで薬害エイズをテーマにした後で、僕は第二部に大貫武さんの講演を企画していたんです。

(略)けれど支える会のコーナーの司会をしていたT男は、(略)自分たちの支える会のコーナーが終わった後、『これで支える会の企画を終わります』と言っただけで、『次は第二部が始まります』とは一言も言ってくれなかったんです。

それで、会場にいる人は、もうイベントが終わったかと勘違いして、ほとんどが帰ってしまいました。 会場にはほんの僅かな人しか残ってません。 そんな中で大貫さんは講演したんです。 僕はそんな中で大貫さんに喋ってもらったことが、申し訳なくてたまりませんでした。

(略)僕は今まで人が集まらないイベントなんて何度も経験しましたから、いまさら自分の面子がどうとか、そんな下らないことを言うつもりはありません。 大貫さんに対して申し訳ないから怒ってるんです。

(『脱正義論』 pp.174-175より)

Y氏は後日、支える会のT男ら(支える会の司会者)を呼び出し、なぜ大貫氏を無視したのかを問いただした。

彼らは何も言えなくなりまして、で僕は『謝ってくれ、このままじゃスジが通らないだろう』と言ったんです。

でも彼らは『謝れない。 支える会としては悪いことはしていない』と言い続けるんですね。 なので僕が『じゃあ、個人として謝ってくれ。 悪いことをしたと思うなら個人として謝ってくれ』と言うと、T男は『個人としても謝れない。 自分がここで謝ったら、支える会として謝ったことになるから、個人としても謝れない』と言い張り続けるんです。

(『脱正義論』 p.175より)

エイズを楽しむ」という大貫氏の生き様は、訴訟に勝つことだけを目的にしている支える会の「正義」の外側にあり、酷い言い方ではあるが『どうでもいい』と思っていたのかも知れない。

支える会と袂を分かった小林よしのりが、怒りを露わにする。

ただ学生がいまだに自分らが正義だったと信じ込んでいるのは許せん。 原告の大貫さんを早稲田のイベントでシカトしたじゃないか。 組織防衛のために、このわしにやったのと同じようにシカトして謝罪すらしなかったじゃないか。 大貫くんは今年、亡くなった。 心がうずかんか? 正義だけだったと言えるか?

(略)おまえらが非難している官僚は、おまえら自身の姿だ。 「薬害をなくすために、これからも勉強会をする」だと? そんなおまえらが、将来、確実に薬害を起こすんだよ。

(『脱正義論』 p.257より)

1996年3月29日、HIV訴訟の和解が成立した。

まだ薬害エイズという人災が全く世の中に認知されていなかった頃から地道な活動を続け、国や企業に加害責任を認めさせた。 彼ら無しには成しえなかったろうし、その功績は大きい。

だが結局、弁護士や左翼団体の言いなりとなって、自らの良心に遵えなくなった学生の姿は、自らの保身のために安部たけしの言いなりとなり、危険と知りながら非加熱製剤を使い続けた医療関係者と重なって見える。

そして、支える会の学生や原告の少年(当時)は、どこかおかしな方向へと向かい始めた。 そして「イデオロギーより情を」と散々主張していた小林よしのり自身も、この頃から政治色を強めていくようになる —— 。